神様になった日はなぜ面白いのか

神様になった日は2020年の冬アニメの中でよくも悪くもネットで一番盛り上がっている作品だ。なぜ盛り上がっているのかと言えば、ストーリーと設定が破綻しているので毎回のように突っ込み所が生まれているからだ。つまり作品がボケで視聴者がツッコミを入れるという形で掲示板やTwitter大喜利のような面白さに繋がっているのが理由の一つとして上げられる。

 

このアニメはゲームクリエイターの麻枝氏が脚本を担当している事を作品のウリとして上げていて、WEBのメディアや雑誌媒体で彼のインタビュー記事が掲載されておりアニメの監督よりも脚本家が喋りまくる光景というのは異様で記事を読んでいるだけでとても面白い。ガンダムの富野監督ばりに自分の作品を自虐し、スタッフの愚痴を吐いているからだ。本業のアニメ脚本家が同じ事をやったらよほどの大御所でもないと今後の仕事に差し支えるレベルだろう。

 

・原点回帰とは?

「神様になった日」は麻枝氏がこれまで担当した「エンジェルビーツ」と「シャーロット」の要素である「バトル」を排除している。ゲームでボーイミーツガールのシナリオを得意としていた麻枝氏はアニメ作品として映える為に無理してやっていたこの2つの要素をやらない事で、ボーイミーツガールと視聴者が感動して泣くという部分に集中する。これが原点回帰であった。

 

・シナリオの土台が超現象から量子コンピューターへ

前2作の「エンジェルビーツ」と「シャーロット」はお世辞にもシナリオが整っている作品とは言えなかったが「バトル」の要素があるのでそこから超現象やら超能力やらにつなげてシナリオの粗を誤魔化す事が出来た。しかし「神様になった日」にはそれがないので誤魔化す事が出来ない。「神様になった日」は神様が脳に量子コンピューターを埋め込まれているから未来予知ができるという設定なのだが、予知はあくまでも予知でしかなくそこから自分の都合のいいように現実を捻じ曲げるのは困難だ。「予知」という設定的な部分と「なぜそこまで上手く行くのか」というご都合的な部分が噛み合わず、視聴者からすると困惑してしまった。超能力と比べるとコンピューターがなぜそこまで出来るのかと辻褄を合わせるのは大変だ。作中で最終的に「量子コンピューターに何が出来て何ができないのか」という辻褄合わせを放棄する事になる。

 

・主人公のキャラ設定の破綻

「神様になった日」はバトル要素がない日常ものとして作られているので「倒すべき敵」というものがない。代わりに神様が「30日後に世界が終る」と主人公に告げているのと、主人公の目的として「好きな女の子と付き合う」「好きな女の子と同じ大学に行く」「好きな女の子に振り向いてもらうために神様の無茶ぶりを達成する」という土台が1・2・5話を通して作られる。「30日後に世界が滅亡するからヤケクソになって受験勉強を投げ出して遊ぶ話なのか?」と思うのだが別にそうでもない。6話から主人公の目的はぶん投げられて主人公は神様の事だけを意識するようになってしまった。つまり1・2・5話で女の子を説明する為に尺を使った意味がない。視聴者としては「主人公は女の子が好きじゃなかったのか?」といった混乱が起こり、主人公は自分の人生を鑑みずに神様に入れ込んだ結果、大学受験を投げ出しハッキングという違法行為をしてまで神様が入院している病院に職員として潜入してしまう。主人公のこの気持ちの変化についていけるだろうか?俺はついていけない。

 

・無理してやる意味を感じない映画撮影

主人公に妹がいて映画部なので映画撮影の話を2・7・9話でするのだが、主人公は夏休みとはいえ受験勉強中なのに映画撮影はおかしいだろう。2話で主人公の同級生の女の子が「遊んでる暇なんてあるの」と言ってるがまさにその通りだ。しかし7話以降は勉強について言わない。謎だ。ラーメン屋と女弁護士も自分の仕事があるのに映画撮影に参加する時間がなぜあるのか謎である。キャラクターを全員集合させる理屈としての映画撮影だと思うが、映画撮影を話のメインにするなら主人公を受験生ではなく高校2年生にして映画部に所属しているといった設定を付けないと統合性が取れない。無理にねじ込んだ映画撮影の話だったが、キッチリ1から描く意図はなく端を折りすぎてどこまで進んでるのか全く分からず、神様が途中で黒服に拉致されたので映画が完成しないというしょうもなさだった。

 

・背景のモブと化し物語からフェードアウトしていくキャラクターたち

基本的に主人公と神様が話す事でストーリーが展開されるのだが、日常ものらしくサブキャラクターがメインになる回があり、そこで各キャラの設定やら主人公の関係が掘り下げられる。その反面、メインではない回は出番が減り台詞も少ない。つまりいてもいなくてもストーリーに影響しないキャラクター(背景のモブ)と化す。1・2・5話でメイン扱いされた女の子が6話から極端に出番と台詞を削られたのがいい例だろう。「このキャラクターとこのキャラクターが話すとどうなるんだろう?」という形で主人公と神様以外のキャラクターを満遍なく立てようとする意図が薄い。

 

・ゲームの文法とアニメ脚本の違い

ゲームのシナリオライターが脚本を書いているせいか会話のキャッチボールになると「情報を持っていて一方的に説明する側」と「情報を持たず一方的に説明される側」の上下関係がハッキリし過ぎている。ストーリーをさっさと進めるために前者に後者は逆らえない。主人公は神様に一方的に命令され、それを実行していただけで自分の意思というものがないため、神様がいなくなった途端に主人公が能動的になると奇行を繰り返すキャラクターになってしまった。場面転換が突飛なのも特筆するべき部分で「なぜこんな状況になったのか」「なぜこのキャラがここにいるのか」「なぜあのキャラが画面から消えたのか」「さっきの話はどうなったのか」というものを端折って先に進めるのもゲームだと許されるが映像作品的には違和感を感じる部分だと言える。

 

・そして伝説へ・・・

バトル要素がないので敵を倒したら解決する、超現象でなんとかなるという誤魔化しができなくなったせいか、最終的に主人公の目標は「脳に埋め込まれていたコンピューターを外されて知的・身体障害者になった神様を家に連れて帰る事」になってしまった。なぜハッキングという犯罪行為を犯してまで主人公は神様を家に連れ帰ろうとするのか。主人公に女介護士は「神様を連れ帰る権利はある」と言ってたがこれはハッキング行為の賜物であって、本来は権利がない。つまり意味のない押し問答なのだ。脳にコンピューターを埋め込んだら元々障害者だった神様が健常者になった理由が謎だし、脳のコンピューターを取り外された神様が障害者に戻った理由も謎だ。脳を弄る手術を2回もされて大丈夫なのか。どの道長くはない。

 

バトルものでオチがいい加減でも「バトルものだし仕方ない」「超常現象なら仕方ない」と受け入れるしかない部分はあるのだが、流石に障害者と介護職というデリケートなものを題材にして無茶苦茶な話を見せられてしまったらどう受け取っていいのか分からないし、ネット上で盛り上がり伝説のアニメになってしまった。

 

・もし4作目が作られるとするなら

バラエティーに富んだものを作るより「●●もの」として1クール作った方が分かりやすいのではなかろうか。麻枝氏が「神様になった日」のインタビューで「前作の視聴者からバンド要素はCDを売りたいだけなんだろと言われて歌は挿入歌だけにしました。」と言っていたが「エンジェルビーツ」から数年すると音楽系のアニメが主流になり先見の明はあったので、商売的にもストーリー重視のものよりバンド系アニメの方がセールスポイントが理解しやすい。最近で言えばバンドリとショーバイロックがそういう作品なわけで。