正法眼蔵随聞記の感想

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正法眼蔵随聞記は曹洞宗の開祖・道元の話を弟子の懐奘が筆録してまとめたものです。道元が自ら筆を取った「正法眼蔵」という書物がありますが内容が複雑怪奇で分かりにくい反面、こちらの方は話を文章化しているため正法眼蔵と比較すると道元の教えが分かりやすいものになっています。

 

道元が弟子に語ったのは大雑把に分けると「修行に対する心得」「日常作法」「処世術」「お坊さんの逸話」「中国の古事」といった内容ですが、中には前半で語った話が後半でもまた出てきて重複しているものがありました。道元は博識で他宗派の実情、経典、古事に精通してそれから得た知識があっても慢心せず自らの修行に反映させている事が伺えます。

 

道元の教えを一つ抜き出すと全てを捨てて成果を求めず座禅に打ち込む「只管打坐」の教えがありましたが、勉学も必要だと言っていたり勉学に重点を置いている真言宗天台宗の批判をしていたりで道元の意図が掴めません。「仏法」「仏道」という単語が繰り返し出てきますがそれどういう事なのかと考えるならば、仏教は仏(仏陀)の教えであり経典がなければ模範にする元が何なのか分からないという事になりますし、正法眼蔵随聞記を読んだ限りだとどういった経典を使っているのか把握できないです(曹洞宗のHPを見ると使っている経典が分かる)。

 

よくよく考えてみると道元の話している事自体には元になった書物があるので、その元になったものを読んだ上で道元の教えを頭に入れないと中途半端なものになるという事になります。仏教と一口に言っても開祖が何の経典を元にして喋っているのか分かった上で、喋っている内容を吟味しないといけないという所が仏教の難しい部分です。経典は「仏陀がこう言った」という事柄が繰り返し書かれていますが、経典によって仏陀が言った言葉がコロコロ変わるので後世の人物が「仏陀が言った言葉」として何かを書き加え続けた結果どんどん変化していったと歴史の研究家が推測しています(加上説)。

 

現代的に言えば経典が「教科書」で道元の教えが「勉強法」と言った所でしょうか。インナーゲームという本でテニスの指導者が道元の教えをテニスの練習に応用していましたが、正法眼蔵随聞記に書かれている「成果を求めず欲を持たずひらすら仏道に励む」の教えで仏道の部分をテニスに置き換え「成果を求めず欲を持たずテニスに励む」という事になります。正法眼蔵随聞記を読んで仏法とは何ぞや考えると複雑怪奇なものではありますが、仏法を他の単語に置き換えてそれを修行と考えるのはそれはそれで面白い考え方であり道元を参考にする著名人が多いのも頷けますね。