映画「ジョーカー」の感想

バットマンシリーズの映画はテレビでやってるのを見てるだけで全く思い入れはないし、ジョーカー自体も好きなキャラクターではないですがストーリーが「底辺のおっさんが追いつめられてジョーカーという犯罪者になる話」との事だったので観てきました。僕も底辺のおっさんでジョーカーの日常に感情移入できる所ばかりだったので、この映画が暴力的な感情を煽る危険な映画だと言われる理由がよく分かりました。本作の特徴としてほぼジョーカーの視点で話が進むのでドキュメンタリー映像を見ているような感覚に近くて、ジョーカー以外の登場人物が何を考えてどう動いているのかという部分は殆ど描かれないのでジョーカーに感情移入させるような作りは意図的だと言えます。賛否両論という言葉は好きではないですが、このドキュメンタリー的な作りはジョーカーに感情移入できないと退屈でしかないので共感する部分がないとキツいでしょうね。

 

底辺のおっさんが社会の理不尽さや家庭環境の悪さに耐えて耐えて耐え続けて、ついに吹っ切れて殺人鬼になり、ジョーカーと同じような底辺層が街で暴動を起こすことで大惨事になりジョーカーが暴動のシンボルとして祭り上げられる・・・と右肩上がりでストーリーが盛り上がってはいくのですが、場面が切り替わりジョーカーが手錠を繋がれた状態で精神科医と話をしている所で「あの暴動からどうやってジョーカーは逮捕されたのか?逃げられなかったのか?なぜ射殺ではなく逮捕なのか?」と訳が分からなくなります。バットマン本編のジョーカーは虚言癖で言っていることの何が本当で何が嘘なのか分からない狂気の悪党として描かれており、本作のジョーカーは精神病という設定のためか妄想らしきシーンが何度も流れてきて何が現実で何が妄想なのか混乱しました。ラストに精神病院のシーンを持ってくることで観客に疑問を持たせて「振り返るとあそこはおかしかったな」という部分を振り返らせることで、観客に考察を繰り広げらせる狙いなんでしょうかね。社会問題を題材にした映画と思わせて、虚言癖のジョーカーの話を本気で感情移入しているお前は馬鹿なんじゃないのか?と狐に化かされたかのような気持ちになるこの感覚はたけしの挑戦状のエンディングで「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」とプレーヤーを茶化しているコメントで締めくくられるのを思い出しました。

 

よく考えればピエロの仕事が全く務まらない底辺のジョーカーが舞台設定の1981年でまだ高価だったテレビやビデオデッキが買えるわけがないので、こういう細かい違和感を探し出すという目的で2回目3回目と繰り返しで見ても楽しい映画なんでしょうけど僕はもう1度見ようという気にはならないですね・・・