アニメオリジナル映画における総集編っぽさとは

TV放映と映画館でアニメオリジナル映画を観て第一番に思う感想が「これはTVアニメの総集編じゃないの?」と出てくるのですが、いつからそう思うようになったのかと考えるとサマーウォーズを観てからでした。主体性がない主人公、多すぎて1人1人が記憶に残らないキャラクター、ストーリーの主旨がハッキリせずその場その場でコロコロ変わる・・・という作りだと記憶に残らずこれはTVアニメのダイジェストじゃないか?と思う訳ですね。

 

アニメ作品をカテゴリ分けする単語としてセカイ系という言葉がありますが、単語の定義が曖昧で使ってる人によって意味が違ってくるので使いたい言葉ではありません。ストーリーの主旨が曖昧で日常を繰り返している状態で、ヒロインを助ける方に目的が固まっていくのがエロゲー的なんでしょうか。主体性のない主人公がなぜか親切な人々に巡り合って人生が好転していく・・・というのは朝ドラ系のストーリー構成に近い感じがします。主人公には主体性がなくて他人からお膳立てをしてもらうだけで苦労をしてないが故に、今の環境を投げ出す事に抵抗感がなく、その場その場で突飛な行動をしてしまうのも朝ドラみたいですね。

 

朝ドラは視聴者を飽きさせずに毎日見てもらわないといけないから、主人公が環境を投げ出して日常を変える事で視聴者を引き留めようとするわけですが、1本の映画としてそういうのをやられるとこれはどういう話なのか、主人公は何がしたいのか?という感じで混乱してきて観終わってもモヤモヤします。

 

最近見た天気の子に話を移すと、主人公は島から出た家出少年という設定だけでそれ以上でもそれ以下でもなく、家庭環境の確執が語られるわけでもなくあれがしたいこれがしたいああいう風になりたいという主体性がなく、偶然出会った人に流されてるだけでシーンがぶつ切りで纏まりが無いので、これは本来描写される所を端折ったTVアニメの総集編映画ではないか?と思うわけですね。