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新・牡丹と薔薇の感想

中島丈博 昼ドラ 新・牡丹と薔薇

本来なら1話から最終話まで感想を上げたかったのですが、Twitterで満足してしまいブログに記事を上げるのが面倒くさくなってしまった。Twitterを立てればブログが立たず、ブログを立てればツイッターが立たずで両立は難しい。

 

本来なら1話からまた見返して内容をおさらいしてから感想を書いた方がいいのだけれども、そこまでする魅力は本作には感じなかった。

親世代の話を切り捨てた赤い糸の女のように丁寧に作られてる作品ではなく、天国の恋のように3か月の構想だったものを無理に2ヵ月にしたような印象を受け、話の端を折りすぎて何だかよくわからない所が多い作品になってしまっていた。

公式やネットの記事では「中島御大だから」「昼ドラだから」という方便をよく使っていたが、3ケ月枠だった頃の中島御大の作品を知っていると2ヵ月枠になってしまった制作側の都合で話に無理がきてるとしか思えない。

2か月枠の時点で牡丹と薔薇を新・牡丹と薔薇が超える事は難しかった。

登場人物の心境の急激な変化や場面が飛びまくるジェットコースーターのような展開に公式・視聴者がともに突っ込みを入れるコント番組のような一体感を楽しむようなその場限りの祭りのような作品で、ストーリー面はサッパリ記憶に残らない・・・天国の恋と同じだった。

 

ここからwikiの記事を見ながら振り返る。

牡丹と薔薇 - Wikipedia

1部は親世代の話だが、一週間で終わるので年月が飛びまくりで端折りすぎ。この時点でもうコントとして見るしかなかった。2部はこの作品で終始付きまとう重大な事件「M計画」が発生してしまう。旧作(牡丹と薔薇の事)に比べると姉妹の幼少期が全く描かれておらず、何故に美輪子が多摩留に付き合ってあげていたのか、ぼたんがなぜ美輪子に尽くすのかよく分からなかった。2部以降の因縁は美輪子が多摩留にあっけなく処女を捧げ、家のしがらみの窮屈さの逃避先としての役割を多摩留に求めていたが、多摩留は美輪子をセックスの相手としか認識しておらず、美輪子が愛想を尽かして連絡を取らなくなったら多摩留がストーカーと化した事で始まる。多摩留は付きまとい、脅迫状、美輪子とセックスした時の写真をネットにバラまくリベンジポルノなどストーカー行為の限りを尽くし、警察に注意されても止める事はなかった。ここでぼたんが婚約者がいるにも関わらず、多摩留に自らの処女を捧げる事でストーカー行為の果てにある美輪子の殺害を食い止めようとするが、結局は多摩留は小日向家に侵入して美輪子を殺す「M計画」を実行し、ぼたんが美輪子の代わりに多摩留にナイフで刺殺された事で悲劇が起こってしまう。ここで多摩留はなぜ3部以降に出て来る義理の姉「富貴子」に瓜二つのぼたんを見ても何も思わなかったのか、欲情してセックスまでしてしまったのかが引っかかるものの特に劇中で語られる事はなかった。多摩留は美輪子に対する気持ちをぼたんに並べ立てるものの、性欲に負けてぼたんとセックスしてしまった情けない男で、ぼたんとの約束を破って美輪子を殺そうとして失敗し、肉体関係はあったものの恋愛対象として見ていないぼたんを殺してしまい、自ら小日向家に火を付け心中したので自ら立てた「M計画」すら失敗した事になる。

 

3部は眞澄が自分が腹を痛めて産んだ赤子を里子に出して多摩留の実家である吉田家に引き取られた「富貴子」が登場する。2部のストーリーが強烈で1部のスト―リーを忘れてしまっていると制作側が判断したのか、3部の当初は1部の映像を回想として流し眞澄が里子に出した赤子を振り返る視点と富貴子が自分の素性を調べる視点の二重構造で話が進む。終わった後に振り返れば、この3部は中だるみしていた。1部を振り返りながら美輪子にはぼたん以外に姉がいたという展開を丁寧にやったが、同じ話をまた聞かされるというのは退屈な部分もあった。それで尺を使ったせいか、富貴子の人物像が掴めず描写不足だったと思う。どうしたいのか分からない人物という意味では富貴子は中島作品の主人公としてはふさわしかったのかもしれない。確固たる目的がなく、周りに振り回されるままに生きるが肝心なアドバイスは聞かないので状況はますます悪化していく。そういう意味では旧作のぼたんに近かった。

大学生になった美輪子は多摩留の「M計画」で姉のぼたんを失い、精神障害を患い家族から心配されるが、姉と瓜二つの富貴子に固執する。富貴子にあまりにも固執する様はかつて多摩留が美輪子にストーカー行為をしていた姿そのものだが、多摩留と違い美輪子は周りから甘やかされているのでさほど問題にはならない。富貴子は面識があまりない美輪子に姉妹愛を拗らせ、面倒を見たいと思う過程が全く理解できなかった。富貴子は吉田家の養子で兄弟とは血が繋がっていなかったので、幼少期に複雑な心境を抱いて育ってきたのかもしれないが描写がないので何とも言えない。多摩留が富貴子に欲情してたので富貴子はアメリカに逃げるように留学したのではないか、だから多摩留は義姉と瓜二つのぼたんとセックスできたのではないか?と予想したが特に何もなかった。

金持ちの娘で甘やかされ精神障害を患っているという建前から、やりたい放題でも御咎めがない美輪子と、自分の素性が美輪子の姉だったという事実を知って育てられた吉田家を捨てて小日向家に行く富貴子。この2人で周囲に被害が及ぶというどうしようもなさで3部のストーリーは進んで行った。今思えば美輪子が「ぼたんはこうだった!」と死んだ姉と同じ人物像を富貴子に求めていたのは、最終回のオチの前フリだったように思う。富貴子が綱輝と結ばれるまでに2人の男と関係が終わったストーリー展開があったが、ネイルアーティストとしての腕が良過ぎるのかどこに店を構えても繁盛する富貴子と店を失敗して借金を抱えて夜逃げした神崎の対比。「富貴子が好きだ」と言いつつも美輪子がセックスを仕掛けるとコロっと落とされて美輪子にいいように操られて挙句には捨てられる清塚の噛ませっぷりが中島御大の普通の面の男に対する扱いがいつも通りで笑ってしまった。

富貴子と綱輝がいい仲になった途端、崑一が腹上死。小日向家に莫大な借金がある事が判明するが、バラ園と屋敷を処分すれば今まで通り暮らせると銀行員に説明されてるのでさほど悲惨な感じはしない。しかし、美輪子がバラ園を手放したくないとゴネて、金貸しが「美輪子がわしと結婚するなら金融資してやってもいい」と条件を提示してくると富貴子が美輪子の代わりに結婚する事になり3部が終了。

 

4部は旧作を見てると話が端折っててついていけないものの、入り混じった人間関係は旧作をなぞっている事が分かる。ただ、美輪子の立場は香世と一緒だが綱輝の心が富貴子にある事で嫉妬する事はなかった。本作はその逆で、自分が欲しかった幸せが全部美輪子に奪われる形になった富貴子が嫉妬して感情を爆発させる流れになっている。

再三、周辺のアドバイスを聞かず、美輪子に尽くすことで自己満足していた富貴子は今更それに気づいても後の祭りだった。

恋人と自分が腹を痛めて産んだ女の子は美輪子に持って行かれ、美輪子の身代わりで結婚する事になった金貸しには子供が実の子じゃない事がバレて落とし前を付けさせられる。四面楚歌としか言いようがない状況だが、金貸しが種なしで甥っ子に富貴子を強姦させる事で自分に遺伝子を残そうとするものの、富貴子の義理の弟である杉彦が甥っ子をたまたま飾ってあった日本刀で殺す事ですべてが有耶無耶に。

薔薇園がどうなったのか、小日向家の屋敷はどうなったのか、富貴子と金貸しの関係はどうなったのか。また場面が飛び、どこかの別荘で美輪子は精神が崩壊してぼたんそのものになってしまった富貴子と仲良く暮らし物語は終了する。

 

やはりざっと振り返っても内容がサッパリよく分からない・・・この作品のテーマは何だったのか。何がいいたいのか。最終話の名言「どういうこと?」が本作を表している。しかし、中島御大がテーマ性も考えずに話を練っているとは到底思えないので自分なりに結論を付けたい。

1~2部は未成年の軽はずみなセックス、望まない妊娠、ストーカー行為、殺人事件など強烈なネタが目白押しだった。ここまで未成年のセックスを批判したドラマはあっただろうか。俺には記憶にない。未成年のセックスからの妊娠を扱った作品は珍しくないにしろ、シンプルな表現で未成年のセックスを批判するのは珍しいと思う。特に美奈子が美輪子を罵る様は痛快であり何度「セックス」と言ったのか数えきれない程だ。美輪子が行動で示すトラブルメーカーなら、美奈子は口で人を煽ってトラブルを発生させる裏のトラブルメーカーだと言える。美輪子が多摩留と軽はずみなセックスをした事で全ての因縁が始まったのは事実で、いくら多摩留が常軌を逸した人間だったとしてもそんなに人間にセックスをさせた美輪子がおかしい。その結果、美奈子はぼたんを失う羽目になり3部以降も小日向家に恨み辛みを吐いてトラブルを発生させる事になる。

3~4部は1~2部で起きた事件の傷跡と里子に出された富貴子が登場し新たなトラブルが起きていく過程が描かれるものの、富貴子の素性という一発ネタだけで纏まりが無かったと思う。富貴子という自分の力だけで雇われなくてもネイルサロンの自営業でやっていける程の女性が、1~2部で死んだぼたんという存在の代わりを押し付けられて洗脳されていく話だと考えると納得が行く。強く逞しい女性だった富貴子が、自分の義弟に精神を壊された美輪子に関わってしまった事で自分の精神も壊されて別の人格が生まれる。これは洗脳としか言いようがないのではないだろうか。3部から美輪子が「ぼたんはこうだった!」と富貴子に押し付ける事から前フリは始まっていたと思うし、最終話手前で悲惨な目に合った富貴子が「自分は富貴子じゃなくてぼたんだ」と思い込むことで精神の均等を保ったのではないだろうか。富貴子がぼたんを知らなければ、ぼたんになりきったのは幽霊が乗り移ったと言えるが、富貴子は美輪子や綱輝からぼたんがどのような人間なのかは再三聞いているので脳裏に刷り込まれたぼたん像を実行してると思っても不思議じゃない。

3部の最初で富貴子は「自分のアイデンティティーを確立したい」と行った時にボーンアイデンティティーという映画が思い浮かんだが、この映画の主人公ジェイソンボーンはドレッドストーン計画という洗脳を受けて別人格になった工作員で以前の記憶が無い。

つまり、新・牡丹と薔薇も富貴子が人格を壊されてぼたんという新たな人格を植え付けられる、トレッドストーン計画のようなものを描いた物語ではないだろうか。そう考えると最終話の結末に納得が行く。中島御大の構想が本来はどういうもので3ケ月だったらどこまで描かれていたのかは知るすべがないが、天国の恋の後に執筆された真・天国の恋のように、新・牡丹と薔薇もノベライズ作品が出たらその答えが出ると思う。